川本眼科

文字サイズ

小 中 大

川本眼科だより

川本眼科だより 132インフルエンザワクチンは効くの? 2011年2月28日

一昨年、新型インフルエンザ(A/H1N1)で大騒ぎしたことは記憶に新しいところです。マスコミに煽られて日本中がパニックになり、大流行になって死者がばたばた出るのではないかと怯えていました。

役に立たない「水際防衛作戦」に巨費が投じられ、案の定失敗しました。

ワクチンが不足し、優先順位が決められたため、ワクチンの争奪戦が繰り広げられました。

開封後24時間以内に使用しなければならないため廃棄寸前のワクチンをお孫さんに打った医師が極悪人のように非難されました。ワクチンは約1000億円をかけて緊急輸入され、実際には大半が使われず期限切れになったそうです。(もったいない!税金返せ!)

騒動から1年経って、今度はインターネットなどでインフルエンザワクチン否定論が話題になっています。インフルエンザワクチン賛成派と反対派の議論は今に始まったわけではなく、昔から延々と続いてきました。

私は眼科医で、患者さんに予防接種はしません。家族や職員に接種するだけです。利害関係のない立場で、賛成派、反対派、どちらの主張に分があるか、冷静に検討してみます。

 

インフルエンザワクチンはいらない?

昨年末「インフルエンザワクチンはいらない」という本が出版されました。著者の母里啓子(もり ひろこ)さんは 1980年代からインフルエンザワクチン反対派の旗手でした。1934年生まれですからもう76歳のはずです。ワクチン不信論を広め、一世を風靡した論客です。

この著者が1997年に著した「知りたいインフルエンザ」という本も持っています。主たる主張は13年前も今も同じです。昔この本を読んだ時はなるほどそうだとすっかり感心したものですが、その後いろいろ勉強してみるとおかしいところが目に付くようになりました。 

反対派の最大の拠りどころは「前橋レポート」だが

1980年代に前橋市の医師たちはインフルエンザワクチンを学童に強制接種することに疑問を持ち、中止しました。その根拠を自分たちで調査をしてまとめた報告書が「前橋レポート」です。(http://www.kangaeroo.net/D-maebashi.html)
これが現在もワクチン反対派の最大の拠りどころとなっている研究です。

労作だと思いますが何しろ今から約30年も前の研究です。当時はインフルエンザか風邪かを鑑別する精度の高い方法がありませんでした。そのため、37℃以上の発熱で2日以上学校を欠席すればインフルエンザとみなしています。現在ならインフルエンザ迅速診断キットやPCR法が使えます。もちろん、普通の風邪にインフルエンザワクチンは効きませんから、これは結論を左右する可能性の高い問題点です。

また、インフルエンザ接種地域と非接種地域を比較しているのですが、実は接種地域の接種率も5割に満たないのです。それに、そもそも当時はEBMなどという考え方もなかったので、近年常識となっている統計学的処理もされていません。

つまり、歴史的意義はありますが、これが今日でも一番素晴らしい調査研究などとはとても言えないと思います。

現在では、PCR法で正確に診断をつけ、きちんと計画的に行われた研究があります。例えばワクチンを注射したグループとプラセボ(偽ワクチン)を注射したグループに分け、発症率等を比較した研究があります。そういう研究では被験者の数を多くできないのが弱点ですが、より信頼性の高い結果が得られます。そして、ワクチンに予防効果があると結論づけられています。

都合の良い事実は過大評価、都合が悪い事実は過小評価

母里さんは大変真面目な方だと推察します。主張されていることの中に共感できる点もかなりあります。特に、若い頃にインフルエンザワクチンの強制集団接種に疑問を持ち、反対を唱えたあたりは喝采を送りたいほどです。

しかし、1つの主張にこだわりすぎると、どんな立派な主張も教条主義に陥る危険を孕んでいます。今の母里さんは「ワクチンはいらない」という主張を神格化してしまって、何でも最初に結論ありきで、事実に向き合う科学者としての目が曇ってしまっているようです。

つまり、自分の主張に都合の良い事実は過大評価し、都合の悪い事実は過小評価する傾向が顕著です。ワクチンに効果を認めたという論文にはいろいろケチをつけて「信用できない」と低い評価を下すのに、自説のほうは単なる推測だけで裏付けとなるエビデンス(科学的根拠)を提示できていません。例えば「ウイルスの変異を予測しようと研究者たちはやっきになっているが、変異の方向なんて読み取れるわけがありません」と主張していますが、何の根拠も示さずにただ断定しているだけです。歯切れが良い断定は気持ちよいものですが科学的態度とは言えません。

母里さんはインフルエンザでは死なないと主張します。えっ!?「インフルエンザでなく、インフルエンザにかかり、肺炎を起こして亡くなっている」のだそうです。うーん、これは詭弁ですね。普通、それは「インフルエンザによる死亡」とみなすべきものです。

しかも今回はインフルエンザだけでなく、種痘や風疹ワクチンやHibワクチンや子宮頚癌ワクチンまで攻撃していますが、これは完全な勇み足でしょう。先天性風疹症候群の子供が生まれてもかまわない、子宮頚癌で子宮を摘出する女性がいても仕方ないというのでしょうか。これらのワクチンの価値は揺るぎないものなので、本全体の信用度を下げてしまっています。 

インフルエンザの死亡率とワクチンの死亡率

ワクチン反対派はワクチンの副作用を問題にします。確かに、副作用は起きます。でも、相当にまれです。インフルエンザの危険性とワクチンの副作用を天秤にかけてみる必要があります。

すごく単純化すれば、インフルエンザワクチンで減らせた死亡数がワクチンの副作用による死亡数を上回ればワクチンは有用ということになります。死亡はごくまれですし、死亡との因果関係も立場により判断が異なるため、死亡率の正確な算出は困難です。無理を承知で各種報告から大ざっぱに判断すると、インフルエンザの死亡率は約1000分の1で、ワクチンにより約半分になります。一方インフルエンザワクチンの死亡率は100万分の1くらいです。

他にも論点はありますが紙数が尽きました。ワクチンは有用というのが私の結論で、私自身や家族はこれからも毎年接種し続けるつもりです。ただ、死亡者はほとんど高齢者に限られるので、若くて元気な人ならあえて自然に感染して免疫をつけるという選択肢はあるかも知れません。

2011.2