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川本眼科だより

川本眼科だより 162捨てる人捨てない人 2013年7月31日

世間では一時「断捨離」ブームでした。確かに捨てることは必要です。モノが貴重な空間を奪っている状態は間違っていますし、逆に生活を不便にし貧しくしているのも事実です。

でも、一方で「もったいない」という考え方もあります。どんどん捨てていく使い捨て社会は本当に正しいのでしょうか。地球には有限の資源しかないのですし、それを浪費してしまって良いはずがありません。

さらに、世の中の流れに抵抗して「捨てなかった人」が文化や遺産を守ってきた事例も決してまれではありません。みんなが同じように捨てていればとうの昔に消滅していたはずの貴重な品物や記録が、今日まで伝承されてきたのは、「捨てなかった人」がいたからこそです。

川本家の大掃除

もともと私はものが捨てられない性格なのですが、奮起して、6月後半から1ヶ月くらいかけて、大量のものを捨てました。段ボール20箱くらいにはなったでしょうか。それ以外にも古本屋に段ボール18箱分引き取ってもらいました。古い机とか今は懐かしい8ミリ映写機なども処分して、ちょっとした引っ越し並みの騒ぎでした。

大掃除に着手したのは、子供たちが大学に進学して東京に出て行ったのが最大の理由です。小中高の生活には連続している面があるので「後で役に立つかも知れない」と思って捨てにくかったのです。大学で新生活が始まり、医学を学び始めた彼らにもう高校までの勉強の本やノートは要りません。子供向けの本などを開くことももうないでしょう。

思い入れのある品々

でも、いざ始めてみると、どれもが子供たちの小学生、中学生、高校生のそれぞれの時代の思い出とともにある品々ばかりです。

この本を寝る前に読み聞かせてやったなあ。こども新聞なんてものも作ったなあ。囲碁の教材も出てきた、あの頃この教材で囲碁を一生懸命教えてやったんだった。模試で一番を取った時の答案もあるぞ、親子で大喜びしたっけ・・

パラパラめくれば懐かしい記憶もよみがえり、読みふけってしまいます。捨てるのが惜しい気がして、収納スペースが無限にあるならみんな取っておきたいぐらいですが、もちろんそんなわけには行きません。

ものが多すぎるとどうしても雑然としてしまい、片付けようにも片付かないのです。家内が「うちは物が多すぎる!どこもかしこもゴミ屋敷みたいだ!」と怒りまくっているのもむべなるかな、部屋が2つほとんど物置同然になっていた上に、ほかの部屋でも空きスペースさえあれば使いもしない物が無秩序に置かれていました。

どんなに思い入れがあっても、何とかしなければなりません。

死蔵品を使うことはない

体積を減らすだけなら、段ボールに入れて積み上げておけば済みます。でも、そんな風にしまいこんだものは必ず死蔵品となり、忘れられて絶対に使うことがありません。見ることすらありません。やっぱりすぐに取り出せるような状態でなければ所有している意味がないのです。

思い入れがあるものも大半は思い切って処分をして、思い出の品は厳選して少数だけ残し、逆にその厳選した思い出の品は目に付くところに置いておくことにしました。

ただ、その「厳選」は困難を極めました。捨てる決断は容易ではありません。手にとって眺め、一度読み返し、古い記憶を懐かしみながら、時間をかけて捨てました。

もったいない

捨てることの効用は認めつつ、それでもやっぱり私は「もったいない」という感覚を大事にしたいと思っています。

お金を出せば何をやってもいいという訳ではないでしょう。地球にある資源は有限なのですから。

新しいものを買わずに古いものを長く愛用していれば、捨てる必要はありません。私はテレビも冷蔵庫も車もすべて捨てるまでに十数年使っています。物が豊富で便利な生活ができる現代に生まれた幸せに感謝しつつ、浪費を避けて資源を守ることは後世に対する私たちの義務だと思います。消費しないと不景気になる、と叱られそうですが。

捨てなかった人

古い蔵などから古美術や古文書など歴史的価値が高い文化財が発見されたというニュースを時々聞きます。そういう時、私は思います。ものを捨てずに取っておいた人がいたからこそ、今日まで貴重な文物が残ったのだ、と。

そう古くはなくとも、例えば文豪と呼ばれた人たちの草稿やら推敲の跡などは貴重な資料になっています。本人が捨てずに残し、家族が取っておいたからこそ、今目にすることができるのです。

「断捨離」「捨てる技術」などに素直に従えば、そんなものは早々に捨てられていたはずです。しかし、5年や10年のスパンでは不要品でも100年や1000年のスパンでは価値があるかも知れません。

捨てることは確かに必要ですが、捨てたら二度と返ってこないのも事実です。不確定な未来を考えて「あえて捨てない」も立派な選択と思います。

ただ問題は、何を残すべきか見きわめることが、神ならぬ身には困難だということです。

結局はスペースの問題

広いスペースさえあれば、使えなくなった品物でも博物館みたいに残しておくことは可能です。記憶や思い入れと結びついていれば、物そのものの価値は関係ありません。

でも、たいていの場合、スペースは限られています。新しいものを収納するためには通常古いものを捨てるしかありません。過去よりも未来が大事なので、泣く泣く捨てていくのです。

捨てるか捨てないかは、考え方や主義も影響しますが、結局はスペースがどれだけあるかという問題だと思います。

カルテを捨てる?捨てない?

川本眼科では、原則としてカルテを捨てずに保存してきました。開業以来約19年分のカルテをすべて取ってあります。10年以上前に受診された方でも短時間で古いカルテを取り出せる体制を維持してきました。

古いカルテがあると、過去の屈折・視力・眼底所見などを現時点と比較できて、診断や治療に役立ちます。捨てなかったからこそ使えるのです。患者さんの目には触れないところで当院の診療レベルを支える、院長の密かな自慢です。

ただ19年分はさすがに膨大な量です。スペースの限界も見えてきました。古いカルテをどこかの倉庫で保管することは可能ですが、簡単に取り出せなくなった「死蔵」ではもはや意味がないので、今後は順に処分せざるを得ないと考えています。

(2013.7)