川本眼科だより 311ウズベキスタン 2025年12月31日
2024年9月、旅仲間の勧めでウズベキスタンに行ってきました。2泊4日という弾丸旅行でしたが、思い出深い素敵な旅行になりました。
ウズベキスタンの位置
ウズベキスタンは中央アジアの真ん中にあります。中央アジアはロシア、モンゴル、中国、アフガニスタン、イラン、トルコに囲まれた地域です。
一時はソビエト連邦の一部でしたが、1991年ソ連が崩壊して独立しました。
青の都・サマルカンド
私たちが行きたかったのはサマルカンドです。シルクロードのオアシス都市として栄え、チンギス・ハーンに破壊されましたが、ティムール朝では首都として繁栄しました。
街の建築物の多くが、ターコイズ、群青、コバルトブルーを組み合わせた鮮やかな青いタイルで覆われているため、「青の都」と呼ばれます。
レギスタン広場は、中央の広場を3つのメドレセ(神学校)が囲み、青く輝くドームと壁面を埋める緻密な模様のモザイクタイルが見事です。
シャーヒ・ズィンダ廟群は壁面を覆う青い繊細なタイル装飾が美しく、サマルカンド・ブルーの極致と言われています。ビビハニム・モスクは青いタイルで装飾された巨大ドームが特徴です。
4連休をひねり出す
9/22(日)9/23(月)は連休(秋分の日)。9/21(土)は代診医2人に外来をお任せ。9/16の敬老の日は休みを返上して診療、代わりに9/24(火)を休ませていただき、無理やり4連休にしました。
中部空港からタシケントへ
ウズベキスタンには日本からの直行便はありません。韓国アシアナ航空を使いました。中部国際空港から韓国仁川(インチョン)空港経由でウズベキスタンの首都タシケントに飛びます。同じ飛行機を使うのですが、仁川では一度降りる必要があります。飛行時間は2+7時間くらいですが、乗継のため4時間(帰りは8時間)空港で待ちました。機内食は韓国風で美味しかったです。
タシケントの空港に夜遅く到着。日本語が話せる現地ガイドと落ち合うはずでしたが、なかなか会えなくてあせりました。初日は移動だけ。
現地で初めて知りましたが、今回参加者は私たち2人だけで、現地ガイドがついて、さらに運転手付きの専用車で案内してくれるという贅沢さでした。人件費が安いから可能なんでしょうね。
阪急交通社のe-veryというツアーで、「航空券+ホテル+現地ツアー」のセット販売みたいなものです。航空券は個人向け正規運賃です。
サマルカンド観光の帰り道
2日目は特急アフラシャブ号でサマルカンドへ。青の都を1日堪能しました。目玉のレギスタン広場には昼も訪れ、夜もライトアップを鑑賞。
3日目は車でタシケントに戻ります。途中、道端に果物のお店がずらっと並んでいます。ガイドさんがスイカを買ってくれました。このスイカが本当にびっくりするくらい美味しかったです。
花嫁さんと記念写真
途中、ドライブインに立ち寄ると、花嫁さんに出会いました。今から結婚式でしょうか? 遠くから眺めていると花嫁さんに手招きして呼ばれました。日本人かと聞かれ、そうだと答えると、何と一緒に写真を撮ろうというのです!
写真を撮った後、花嫁さんの幸せを祈って別れました。ウズベキスタンは親日だと聞いてはいましたが、まさかこんなにフレンドリーに接してくれるとは! 驚きです。
親日の理由は?
このあとタシケントに戻り、ナヴォイ劇場を訪れました。ここはシベリア抑留で連行された日本人が建てたのだそうです。日本人は勤勉で礼儀正しく、捕虜でありながら仕事に手を抜くことはありませんでした。
そして、1966年にタシケントが大地震に襲われ、ほとんどの建物が倒壊する中、日本人捕虜が建てたナヴォイ劇場だけは無傷で残りました!
このことは広く語り継がれて日本人が尊敬される理由になっているそうです。また、独立後に日本がいち早くインフラ整備や経済支援を行ったことも親日の理由だとされています。
誕生日パーティで踊る
タシケントのレストランで夕食を取っていると何やら2階がにぎやかです。聞くと誕生日のパーティを開いているとのこと。
トイレが2階にあるのですが、トイレの帰りにつかまりました。おまえもパーティで踊れというのです。日本では考えられないですよね。
現地の人たちと交流できて、素敵な思い出を作ることができました。今でもこのときのことを懐かしく思い起こします。
ウズベキスタン、お勧めです!
(2025.12)











