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川本眼科だより

川本眼科だより 111名前の漢字表記 2009年5月31日

誰しも自分の名前にはこだわりを持っています。名前を間違えられたらむっとします。

でも名前の漢字表記は異体字が多すぎて混乱を極めています。例えば「辺」の異体字だけで20以上あるそうです。それらの字を全部覚えて書き分けろなどというのは無茶な注文で、できるわけがありません。

異体字を常用漢字に置き換えて表記することを嫌がる方もいらっしゃいますが、極端なこだわりは周囲が迷惑します。コンピューターで簡単に出すことができない字、普通の人が覚えていない字の使用を他人に強制するのはいかがなものかと思います。

常用漢字と人名用漢字

現代日本では「常用漢字1945字」が定められ、学校教育ではこの範囲の漢字しか習いません。新聞雑誌では各社それぞれの基準で多少手を加えてはいますが概ね常用漢字の範囲内で記事を書いています。

漢字使用に制限を加えることには根強い反対がありますが、教育・社会生活・情報共有などの観点から漢字制限は必要なことだと思います。常用漢字は既に定着し、常用漢字さえ知っていれば日常生活で困ることはありませんし、普通の人は常用漢字しか知りません。

ところが人名だけは例外です。誰しも自分の名前にはこだわりを持っていて、使用を制限されることを嫌がります。だんだん制限が緩和された結果、いまや983字もの人名用漢字が認められています。

戸籍登録時の書き間違い?

特に、人名に関しては戸籍登録の問題があって、異体字が増える原因になっています。

明治日本で戸籍制度が整備された際、手書きで名前を登録したわけで、いったん登録されてしまうと、たとえ書き間違いであっても簡単に変更はできず、そのまま子孫に受け継がれることになりました。

たとえば、「吉」という字は上が「士」が正しいのですが、「土」と書いた人が多く、異体字発生の原因になっているそうです。
 
「辺」になると人名漢字で認められた邉や邊のほかにもたくさんの異体字があります。戸籍登録時に正確に書けなかったのも一因だと言われています。ただし、それ以前から多くの異体字が使われていたのも事実のようです。画数の多い複雑な漢字ほど異体字ができやすい傾向があります。

己(コ/キ)と已(イ)と巳(シ/み)は本来違う漢字ですがよく混同されています。己をミと読ませる名前はよく見かけますが、誤植のような気がして居心地が悪いのは私だけでしょうか。

斎(サイ)と斉(セイ)もよく混同されています。本来は「斉藤」は「せいとう」としか読めないはずです。ただ、斎の代わりに斉を使うのは明治以前から用例があり、誤用とも言い切れないのだそうです。

異体字を好んで使う人々

人は誰も自分は違うと思っています。ですから名前の表記もできるだけ他人と差別化したいというのは人情です。極端な話、もしも自分の名前にしか使われない漢字があったらうれしいという気持ちは理解できます。

そういうオンリーワン意識こそ異体字が人名に好まれる理由でしょう。戸籍で公に認められた表記となればなおさらこだわりたくもなるでしょう。親は常用漢字で表記していたのに、子供が戸籍の異体字を復活させることも多いようです。

また、名前には字画が複雑な漢字が好まれる傾向があります。漢字制限により常用漢字で名前を表記していた人が、制限緩和で旧字体に戻そうとする例は多く、桜→櫻、浜→濱、竜→龍、広→廣といった具合です。

こだわりの順序

名前の漢字に対するこだわりは個人差が大きく、鷹揚で気にしない人もいれば違う字体を使われると怒り出す人もいます。ただ、注意深く観察するとこだわりにも一定の傾向が見られます。

まず、一字姓だと漢字への思い入れが強いようで、澤(さわ)を沢と書かれるのは嫌がります。これが平澤なら平沢と書かれても気にしないようです。一字名も同じで、眞(まこと)を真と書かれるのは不快のようです。

次に、姓の初めの文字は二番目以降の字よりもこだわる人が多くなります。例えば、濱田氏は濱の字にこだわるが高濱氏は高浜でも構わない、というような傾向が見られます。

また、特にこだわる人が多い字もあります。代表選手は「龍」です。竜ではあまり強そうに見えませんものね。

遠くから見たときの印象が似ている異体字はこだわる人が少なくなります。高と髙は気にしない人が大半です。でも富田と冨田の違いは重視されます。一番上の点は目立つからでしょう。島と嶋のように見た目が大きく違う場合には、置き換えを容認する人はほとんどいません。

名前は本人の専用物なのか

名前はその人の存在証明みたいなもので、原則として戸籍通りに表記すべきだという考え方があります。どんなに難しい字、ふだん使われることのない字であっても、万難を排して再現すべきだと。特にその人がふだん使用している表記法は可能な限り採用すべきだと。

実を言うと私も以前はそう考えていました。しかし、その後私は考えが変わりました。現在は戸籍がどうあれ原則として常用漢字を使うようにするのが正しい方向性だと信じています。

名前は確かに個人のものですが、同時にまた社会のものでもあります。コミュニケーションを取るために名前はなくてはならないもので、他人はどうしてもその名前を使わざるを得ません。その時にあまりに特殊な漢字を使えと要求するのは傲慢と言われても仕方ありません。

とくに、異体字は本来同じ漢字です。そのうえ異体字ができた原因の多くが単なる書き間違いです。同一漢字の異なる字体をみんなが覚えるのは馬鹿げています。社会が払うコストの観点からは統一したほうがよいに決まっています。宮崎と宮﨑、大高と大髙を人により使い分けるのは正直苦痛です。

旧字体の採用については私も本人の表記をなるべく尊重することにしています。ただ、本人だって気分や場面で漢字を使い分けていることもよくあることで、事務用連絡文書には田辺を使い、年賀状には田邊を使ったりしています。また、親と子で使う漢字が違うこともあり、親は桜井で息子は櫻井だったりします。とてもいちいち付き合っていられません。

コンピュータで出せない文字

コンピューターでは常用漢字よりはるかに多くの漢字が使えます。JIS漢字コード(第1・第2水準)に含まれる6355字が使えることが現在の標準仕様です。

逆に言うと、この範囲外の文字を使うと、自分のコンピューターでは表示できても、他人のコンピューターでは表示できなかったり文字化けしたりする可能性が高いのです。人名が文字化けしては失礼ですから、インターネットやEメールではそういう特殊な漢字はできるだけ使わないほうがむしろ礼儀にかなっていると思います。

2009.5