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川本眼科だより

川本眼科だより 155ドライアイとムチン 2012年12月31日

NHKの「ためしてガッテン」が「ドライアイの目薬で実用視力が良くなる」などと誤解を招きやすい放送をしたものですから、あちこちの眼科で患者さんが「あの目薬をくれ」と要求する騒ぎになりました。

不正確な情報を公共放送が流したことに怒っている眼科医もいます。批判にはもっともな面もありますが、もともとこの目薬の効果は説明しても理解してもらいづらかったので、世間に認知度を高めた点で、この番組はそれなりに意味があったと私は評価しています。

仕掛け人は坪田教授

NHK「ためしてガッテン」で医学情報を扱うときには必ず専門家が付いています。たいていはその専門家がネタも提供して、内容を監修しているのです。監修者は番組にも短時間出演して解説するのが普通です。

2012年10月24日に放送された「5日でメガネいらずに!? 新・視力回復法の正体」の監修者は慶応大学の坪田一男教授と思われます。

坪田教授はドライアイという病名を世に広めた方です。ごく普通の一般人でもドライアイのことを知っている、聞いたことがあるというのは、坪田先生の精力的な活動が大きく貢献しています。

新しい手法や考え方を採り入れることに熱心で、行動力や発信力があります。宣伝上手で話題作りにも長けています。マスコミに登場する回数も必然的に多くなります。そういう人の常として毀誉褒貶相半ばし、高く評価する人がいる一方で、ひどく嫌っている人もいます。

実用視力も坪田教授の造語

この番組で使われた「実用視力」という概念はまだ眼科学会としてのコンセンサスが得られたわけではありません。坪田教授が指導したと思われる慶応大眼科の先生方が数年前からしきりに発表されているだけで、眼科医すべてが認めているわけでもなく、「そんな言葉聞いたこともない」という医師だって多いと思います。

視力」のほうは100年以上の歴史を持つ由緒ある概念ですが、「実用視力」のほうはまだ公式には定義も決まっていない新参者です。初めての実用視力測定機器が今年発売されましたが、それが近い将来普及する見込みもありません。

確かに、「視力」は一瞬でも見えればそれでよい「瞬間最高視力」と言うべきもので、実際には見え方が絶えず変化しているという指摘はその通りです。ただ、その変化している視力を測定するのは困難で、測定に時間がかかり患者さんにも負担がかかりますし、不安定で毎日変動してしまうので治療効果の判定にも使いにくいのです。

研究目的で「実用視力」というものを想定することは間違っていません。でも、臨床で「視力」に取って代わったり、日常的に測定する日が来たりすることはないと断言してよさそうです。

ドライアイと「実用視力」低下

ためしてガッテンでは「実用視力の低下はドライアイが原因で、涙が乾くと角膜表面がデコボコになってよく見えなくなる」と説明していました。確かにドライアイは大きな原因の1つではありますが、ほかにも「実用視力」を低下させる要素はいろいろあります。めやにとか疲れ目とか白内障とかが原因で、「視力」は良いけれど本人は見えづらいことは多々あります。

さらにドライアイが2200万人いるからその人たちは視力が上がる可能性があるというのには正直笑ってしまいました。そのほとんどは軽症で別に実用視力も低下していないはずだからです。

ムチンの役割

角膜を保護する涙にはムチンという物質が含まれています。昔は外側から油層・水層・ムチン層の3層構造とされていましたが、今日では水とムチンは入り交じっていて分離できないとされています。ムチンは唾液にも含まれるぬるぬるした粘液成分で、角膜表面では乾燥を防ぐ大切な役割を担っています。

ムチンを分泌するのが杯細胞goblet cellです。「さかづきさいぼう」とも「はいさいぼう」とも読みます。

ジクアスとムコスタUD

ムチンが減るとドライアイになりやすいので、ムチンを増やす薬が開発され、発売されました。
 2010/12/13 ジクアス(ジクアホソル) 参天製薬
 2012/1/5 ムコスタUD(レバミピド) 大塚製薬
両者は「ムチンを増やす」という点で共通していますが、かなり性格の異なった薬です。

ジクアスは杯細胞のP2Y2受容体に働いてムチンの分泌を多くします。副作用が少なくて普通の目薬のように使えるのが利点です。効果が出るには少し時間がかかり、何ヶ月にもわたって長期に使用することをお勧めします。

ムコスタUDは杯細胞自体を増やします。抗炎症作用もあり、また眼痛など自覚症状を軽減する働きが強いという印象です。ただ、1回使い切りであること、さした後で3分くらいかすむこと、苦みを感じることなど、やや癖のある目薬です。

従来よく使われてきたヒアルロン酸の目薬を併用することもできます。ジクアスとムコスタを併用することは今は健康保険の制約でできませんが、作用機序が異なるので将来は重症例に併用できるようにしてほしいと思います。

さて、これらの薬で普通の「視力」が向上することは期待できません。よほどの重症例で角膜のキズのために視力が大幅に下がっているとか、特殊な場合に限られるでしょう。

マスコミ利用の功罪

ためしてガッテンの放送後、「視力が良くなる目薬をくれ」と眼科を受診する人が一時的に増えました。ある眼科医は「視力なんて上がりません、といくら説明しても納得してくれない」とぼやいていました。目薬だけくれ、という人もいました。

誤解を生む放送だったことは間違いありません。普通の「視力」と坪田流の「実用視力」は名前が似ているので素人が聞けば混同してしまうのは無理もありません。天下のNHKが意図的にあたかも普通の「視力」が向上するような番組作りをしたことは問題でした。その責任は監修者の坪田教授にあるでしょう。

しかし、罪作りな面はあっても、一時的に眼科外来が混乱したとしても、あの放送は私にとって診療の助けになり、ありがたかったです。

ジクアスもムコスタも大変良い目薬です。ただ忙しい外来では「そもそもムチンとは・・」などとゆっくり説明することはほとんど不可能です。また直ちに効果が実感できるわけではありませんので、数日さして「前の目薬のほうがよかった」と元に戻すことを希望する方もいます。

そもそも人は保守的で、よく知らないことには過度に警戒心が働くものです。新しい薬を納得ずくで受け入れていただくのには苦労します。

こういう番組を通して患者さんがムチンという言葉に馴染み、進んでムチンを増やす目薬を使おうと思っていただけたら、それだけで十分番組の効用はあったと言うべきです。

(2012.12)