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川本眼科だより

川本眼科だより 10EBMって何? 2000年12月31日

EBMという言葉をよく聞くようになりましたが、どういう意味ですか。

同じ病気で2人の医師にかかったら、全然治療方法が違うので不安になりました。これでいいんでしょうか。

エビデンスに基づく医療

EBMという言葉をお聞きになったことはありますか? これは Evidence-based medicine という英語の頭文字をとったもので、ふつう「根拠に基づく医療」と訳されていますが、これでは原語の意味合いが伝わらないため、外来語としてそのまま使われるのが普通です。

エビデンスというのは、「科学的に厳密な方法で検証された診断や治療の根拠」を意味します。EBMというのは、できるだけエビデンスに基づいて医療行為を行うべきだ、という考え方です。

そんなのあたりまえじゃないか、ですって? いや、そうでもないのです。

例えば糖尿病の場合、血糖が高いためにおこるわけですから、「治療のためには正常の人と同じ程度にまで血糖を下げればよい」というのは単純な発想です。

しかし、これに対し、「長年高血糖が続いた場合、急激に血糖を下げるとかえって合併症がおこりやすい」という考え方が出てきます。実際、そういう患者さんの実例があるのです。

この段階では、医師はそれぞれが自分の考え方に基づいて、厳格に血糖を下げたり、ほどほどに下げたりします。同じ病気でありながら、かかる医師によって治療方針が異なるわけです。

しかし、医師の主観に基づく治療方針の決定は科学的とは言えません。

血糖については、1993年~1998年に出たいくつかの有名な研究報告により、「厳格な血糖コントロールが糖尿病の合併症の発症・進展を阻止する」ことが明確になりました。

今後は、これらの報告に基づき、「できるだけ厳格に血糖をコントロールすること」を標準的な方針にしようというのがEBMです。

エビデンスと臨床試験

エビデンス(医療行為の科学的根拠)としてみんなが納得するのは、「ランダム化比較試験」という方法です。

糖尿病の研究を例にとると、糖尿病の患者さんをランダムに2群に分けて、一方はほどほどの血糖にコントロールし、一方は厳格に低い血糖にコントロールして、両者を比較するという方法です。ランダムに分けるためにくじを引くので、「くじ引き試験」などと呼ぶ人もいます。これによって得られた結果は、最も信頼性が高いとされています。これに対し、一例報告の場合は、ほかの患者さんでも同じことが言えるかどうかは不明で、根拠としては弱いわけです。

ですから、できるだけ「ランダム化比較試験」によって医学上の論争に決着をつけることが望ましいのですが、この試験には倫理問題がつねにつきまとい、必ず実施できるとは限りません。

例えば、糖尿病の血糖コントロールに関する研究はほとんど欧米で行われたわけですが、「日本人に適応できるかどうかわからない」という理由でもう一度日本で同じ臨床試験をできるかというと、倫理的に許されないと思います。日本人でも同じ結果になることが予想されるので、ほどほどの血糖にコントロールされた患者さんが不利益を受ける可能性が高いからです。

同じように、「臨床試験をするまでもなくはっきりしている」というような事柄は、倫理的に試験をしにくいのです。ところが一方、こういう試験をすることで医学上の常識がくつがえった例はいくつもあるので、臨床試験をするかどうかも悩ましいところです。

近視の治療とエビデンス

エビデンスが得られにくい問題もあります。

例えば、近視の問題です。近視はなぜ進むのか、近くばかりにピントを合わせていると近視になるのか、メガネをかけたほうが進むのかかけないほうが進むのか、多くの人の関心事でありながら、明確に決着がついているとは言えません。

ある医師は遠方にピントを合わせる「望遠訓練」を熱心に勧めますし、ある医師はそんなものは意味がないと言い、さっさとメガネを合わせます。メガネを合わせたあとも、ある医師は近くを見るときははずしなさいと言い、ある医師はかけっぱなしのほうがよいと言います。それぞれの指導にはもとになる考え方があるのですが、万人が認めるエビデンスに基づいているわけではないので、医師によって指導が異なることになってしまいがちです。

近視治療に明確なエビデンスを得るためには、「子どもをランダムに2群に分け、一方は1日2時間くらい近くをみる作業(読書やテレビゲーム)をさせ、一方には1日2時間くらい遠くを見る作業(スポーツとか野鳥の観察など)をさせ、しかも、それ以外の時間の過ごし方はほぼ同じになるようにして、10年間くらい観察する」というような臨床試験をしてみればよいはずですが、そんなに長期間子どもの行動を拘束するような臨床試験は不可能といってよいでしょう。

しかも、近視の場合もともと遺伝もかかわっています。遺伝の影響を排除して、きちんと信頼できる結果を得るためには膨大な子どもの数を集めなければなりません。

遺伝の影響を除いて、少数で信頼性のある結果を出すための方法として、右目と左目で条件を変えて調べる、という方法も考えられます。これは目薬の効果を調べる時にはしばしば用いられる方法です。しかし、「右目だけメガネをかけて、左目だけメガネをかけずに観察する」というような臨床試験ができるはずもありません。

そんなわけで、近視については、「エビデンスがない」状態です。

標準的治療法を確立する努力

実際には、はっきりしたエビデンスがない、という問題はたくさんあります。

しかし、医師は患者さんを目の前にして、つねに方針決定を迫られています。患者さんからの質問にもお答えしなければなりません。たとえ、はっきりしたエビデンスがなくても、経験や仮説をもとに治療方針を決めることは必要なことです。そもそも、医療のすべての決定をEBMの手順で行うことなど、不可能なことです。

しかし、新しい知見が得られたにもかかわらず、医師の裁量権を主張して自説に固執する傾向がなかったとは言えません。その結果、効果のない治療や、同じ効果なのに費用のかかる治療が続けられてきたことも確かです。

いたずらに医師の裁量権を主張することをやめ、できるだけエビデンスに従って、標準的な治療を確立し、大多数の医師が認める診療ガイドラインを作成することによって、医師による治療内容の差をなくしていこう、というのは正しい考え方だと思います。これこそがEBMの主旨なのです。

 2000.12