川本眼科

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川本眼科だより

川本眼科だより 74産科医師不当逮捕 2006年4月30日

福島県立病院で帝王切開時の母体死亡事故があり、産婦人科医師が逮捕されてしまいました。
 
警察は「未熟な医師がおこしたミス」のごとく発表しました。マスコミは、警察の発表を鵜呑みにして報道し、この医師は完全に悪者扱いです。
 
しかし、事実関係を詳しく知ると、医師がきわめて不利な条件の中で最善を尽くしたにもかかわらず、結果が悪かったからといって責任を問われたということがわかりました。
 
私は、この事件は不当逮捕だと思います。福島県警の暴走に対し義憤に駆られています。

事実経過

2004年12月、福島県立大野病院で、帝王切開を受けた妊婦さんが大量出血のために亡くなられるという医療事故がおこりました。

※亡くなられた方に謹んで哀悼の意を表します。
 
この病院は交通の便がきわめて悪い地域、いわゆる僻地にあります。産婦人科医は福島県立医大から派遣された加藤克彦医師一人だけでした。
 
患者さんは前回も帝王切開を受けており、今回は「前置胎盤」と診断され帝王切開になりました。
 
執刀は加藤医師、外科の医師が助手として帝王切開を開始し、11分後には無事に子供を娩出、しかし胎盤が出ませんでした。胎盤が子宮の筋肉にまで深く入り込む「癒着胎盤」だったのです。
 
「癒着胎盤」はたいへんまれなことで、産婦人科医でも一生の間に経験しないこともあります。大量出血しやすく、癒着の程度により胎盤の剥離が可能なこともあれば不可能なこともあり、剥離できなければ子宮を摘出するしかありません。
 
胎盤を出そうと努力しているうちに大量出血が始まりました。15分ほどの間に出血量は5000mlになったといいますから、要するに血の海です。事前に準備していた血液(1000ml相当)はたちまちなくなり、さらに血液を注文しましたが、病院から血液センターは遠く、血液が届くのに1時間15分かかっています。
 
この間に加藤医師は圧迫止血や子宮への血流遮断などをしましたが、出血は止まらず、血液が到着した時点で加藤医師は子宮摘出術に踏み切りました。(この時点で出血量12000ml) 血の海の中で大変困難な手術だったと思われますが、加藤医師はなんとかやり遂げました。加藤医師の技量や精神力が水準以上だったことがわかります。
 
しかし、結局出血多量(約20000ml) のために蘇生することはできませんでした。
 
加藤医師は事故を病院長に報告しましたが、病院として「法律でいう異状死にはあたらない」と判断され、警察には届けませんでした。
 
病院は医療事故調査委員会を設置し、報告書を2005年3月に発表。警察が捜査をはじめ4月にはカルテなど証拠書類を押収。
 
その後も、加藤医師はこの病院の産婦人科医療を一人で支えていました。そして、1年も経過した今年(2006年)2月、なんと診療中にマスコミに連絡して衆人環視の中で逮捕されたのです!

いい加減なマスコミ報道

マスコミ報道は、警察発表をそのまま鵜呑みにしたものです。逮捕されれば犯罪者と決めつけるのがマスコミの通弊です。

胎盤癒着で大量出血する可能性を知りながら、十分な検査や高度医療が可能な病院への転送などをせず帝王切開を執刀(共同通信)
 
癒着胎盤は事前に診断することはほぼ不可能で、予見できたというのは大嘘です。お産では大量出血の危険は常にあります。お産を全部転送しなければならないことになり、無茶苦茶です。

・女性の死体検案を警察署に届けなかった(共同)
 
異状死は届けることになっていますが、犯罪の可能性があるとか不審な点がある場合に適用されるものです。お産で大量出血はありうることで普通異状死とは言いません。加藤医師は隠蔽したわけではなく、院長などとも相談した上で病院として異状死ではないと判断したのです。それなのに、加藤医師一人が責任を問われて手錠をかけられたのです。全く納得できません。

・証拠隠滅の恐れがあった(共同通信)

笑止千万です。1年も前のことですよ。しかも病院の調査報告書も出し、公表しています。カルテなどは10ヶ月前に警察が押収しました。なんで証拠隠滅なのか理解できません。
 
逃亡の恐れももちろんありません。加藤医師は任意の事情聴取にも応じ、逮捕当日まで献身的に地域医療に携わっていました。
 
結局、逮捕は医師に精神的打撃を与えることを狙っただけの目的と考えられ、不当です。

・癒着胎盤での帝王切開は未経験(読売新聞)
 
まるで「癒着胎盤」の経験がないのは未熟の証拠かのようです。しかし、癒着胎盤はたいへんまれですから、相当なベテランでも経験がないことは十分ありえるのです。

・手術には執刀した加藤容疑者以外産婦人科医が立ち会っていなかった(中国新聞)
 
そもそも、この病院には産婦人科医は一人しかいなかったのです。それは加藤医師の責任ではなく、病院や福島県や国の責任です。
 
それに、産婦人科医が複数いたところで、このケースでは結果は変わらなかったでしょう。

・執刀医の加藤克彦容疑者は、手術前に病院関係者から手術の危険性を指摘されながら独断で手術に踏み切った疑いが強い(福島民友新聞)
 
ちょっと待って下さい。病院関係者って誰ですか? 加藤医師は一人医長でした。つまり、この病院にはほかに産婦人科医はいません。誰が加藤医師に忠告するというのでしょう? 専門外の医師が忠告できたはずがありません。警察発表がこんなにデタラメでいいのでしょうか? 

途中、家族に対する説明がなかったことも問題視されていますが、大量出血のさなかに医師が現場を離れて家族に説明に行けるわけがありません。

救命できなければ犯罪者?

加藤医師は完璧ではなかったかも知れません。
 
しかし、修羅場において常に正しい判断ができる人間など誰もいません。むしろ、報告書を読む限り、恐らくは人生最大の試練に果敢に立ち向かい、後からみても概ねまっとうな判断をしていることは賞賛されてよいことだと思います。
 
高度な癒着胎盤なら、産科医がたくさんいて設備の整った大学病院でさえ、救命できなくても不思議はありません。
 
今回のケースでは、たとえどんな名医であったとしても救命できた可能性は低いと言えます。普通、99%の医師ができることをできなければ責任を問われます。しかし、1%の医師しかできないなら責任は問えません。
 
昼夜を問わず献身的に地域医療のために働いていた医師が、1万人に1人程度と言われる高度な癒着胎盤に遭遇し、自分の持てる力を尽くして必死で救命に取り組んで、力及ばず不幸にも患者さんを救えなかったからと言って、犯罪者扱いされるなんてことがあっていいのでしょうか?

紙数が尽きました。この事件が日本の医療に与える影響や、医療事故にどう対応すべきかという私見については次号で述べます。

2006.4