川本眼科

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院長のつぶやき

院長のつぶやき眼の無料検診

去る2月27日(日)に愛知県眼科医会主催で「眼の無料検診」が行われた。
緑内障の多くが未発見で、受診していない人が多いという緑内障疫学調査
(眼科医の間では”多治見スタディ”と呼んでいる)の結果を受けての企画である。 
もちろん、趣旨は素晴らしい。しかし、基本的にはただ働きである。

自分がただ働きするのはしかたがないが、参加するスタッフの給料は
払わないわけにはいかない。休日出勤であるから割高だ。人件費だけで
10万円くらいの持ち出しとなってしまう。「医は仁術でしょう。お金のこと
ばかり言って情けない」とお叱りを受けそうが、実際には開業医はクリニックの経営者でもあって、昔と違って一歩間違えば赤字になってしまう昨今の
医業情勢にあっては、お金のことも考えないわけにはいかない。

そうは言っても、愛知県眼科医会全体で始めた企画である。他院も参加
するところが多いらしい。お付き合いの意味でも参加しないわけにはいか
ないようだ。 そう考えて参加を決めたが、実はもう一つ問題があった。

川本眼科は通常2診体制だが、この日、家内は所用で不在。私1人で診察しなければならなかったのだ。まあ、なんとかなるさと気楽に考えて、あんまり宣伝もしないことにして、検診の受診者数が少ないことを祈った。

ふたを開けてみると・・・ 受診者数152名の大盛況。3時間待ちなんてことになってしまった。検診を受けずに帰った方も相当いらっしゃったから、もし
2人でやっていたらきっと200名を超えたでしょう。午前10時から午後1時までの3時間の予定だったが、結局飲まず食わずで午後4時半までかかり、最後はもうげっそり疲れてしまってふらふらだった。

もちろん、やり方次第ではあって、何の説明もせずにすませれば
これほど時間はかからない。
しかし、今日、そんなやり方では患者さんは満足されない。
どうしても結果の説明は必要だし、質問があれば検診だからといって
断るわけにはいかない。
結局、普通の診察と同じくらい時間がかかってしまうのだ。

しかも、検診だからということで、瞳孔を開かないで網膜・視神経を観察しなければならないが、これがまた気を使う。瞳孔を開かないと、鍵穴から部屋の中をのぞいて いるみたいなもので、大変に見にくいし、細かい点がわからない。立体的な観察も困難だ。

しかも、定期的な診察を受けている患者さんと違って、検診で見落とすと
その方はもう当分眼科を受診しない可能性が高い。受診者はこの検診を
受ければ何でもわかるという過剰な期待感を持っているから、責任は重大
である。

本当に、本当に疲れた。
来年も同じ形で検診を実施するのなら、正直言ってもう参加したくない。

検診というのは大勢の方を対象にスクリーニングするのが目的なのだから、
眼底写真を撮ってあとで判読して通知するくらいが適切なのではないだろうか。 (こんな愚痴を最後まで読んで下さってありがとうございました)

院長のつぶやき生年月日は西暦で

日本では、生年月日を表示するのに元号を使うのがあたりまえに
なっている。私も、長い間自分の生年月日を昭和33年と書き続けてきた。最初に川本眼科のカルテを作った時にも、生年月日は元号表記にした。あまりにも社会で定着しているので、ほとんど疑問にも思わない。

しかし、数年前、生年月日の元号表記がきわめて不合理なことに
ようやく気がついた。

まず、第一に、外国人の生年月日まで元号で表記するのか、
という問題がある。

川本眼科にも、たまに外国人が受診することがある。アメリカ人やドイツ人
の場合でも昭和○○年生まれ、と書くのか? 韓国人や中国人の場合は、歴史的に微妙な問題があるから、生年月日を元号表記にするのはもっと
まずいだろう。
つまり、外国人の場合は生年月日を西暦で記載せざるをえないのである。
それなら、日本人の生年月日も西暦で記載したほうがすっきりする。

第二に、元号では年齢を確認するのが不便きわまりないという問題がある。

平成17年に明治43年生まれの人が何歳か、という問題に即答できる人が
いるだろうか?
正解は95歳(誕生日前なら94歳)だが、もし西暦で表示すれば「2005年に
1910年生まれの人は何歳か」という問題になって、簡単に計算できる。
引き算をするだけのことだ。小学生でも暗算で答を出すだろう。

一方、元号では、手元に年齢早見表がなければ年齢がわからない。

紹介状や診断書には、必ず年齢を書かなければならない。カルテには年齢が記載してあるのだが、残念ながらこの記載は1年するともう違ってきてしまうから、あてにはならない。生年月日が元号だと年齢が違っていることが
発見しにくい。

こんな時、生年月日が西暦で書かれていれば話は簡単だ。
すぐ計算できる。

元号は、現在では明治以降にしか使われていない。つまり140年以上過去を表記することが実際上できない。日本史を学ぶ時すら使えないわけだ。
そして未来を表記するにも使えない。平成がいつまで続くか誰にもわからないからだ。

生年月日を西暦で記載してみてほしい。すぐその便利さに気づくはずだ。

院長のつぶやきエスカレータの片側を空けるのはやめよう

エスカレータの片側を開けるのがマナー、ということになっている。
東京でも名古屋でも大阪でもすっかり定着した。
最初、片側空けが提唱されたときには、私もよい考えだと思った。
急ぐ人には、なるほど便利そうだ。自分自身、急いでいる時に
エスカレータにじっと立って乗っ ているのはイライラすることがあるからだ。

しかし、何年間か片側空けを続けてきた現時点で思うに、このマナーは弱者に対する配慮を欠き、一部の元気な人のために大勢が迷惑するという結果を生んでいる。はっきり言って、もうこんなことはやめるべきだ。

狭いエスカレータを駆け上がろうとすると、どうしても接触がおこる。
元気な人には何でもないことでも、ハンディキャップを持った人には重大な結果を招く ことがある。高齢者などは転倒しかねない。
そもそも、メーカーは
「エスカレータを歩くのは危険だからやめたほうがよい」と言っているのだ。

世の中には脳梗塞で片マヒをおこしている人もいる。この人にとっては、
手すりは右でも左でもよいというわけにはいかない。右側を空けろと言われても、ど うしても右の手すりを持たざるを得ないのだ。

親子連れなら、手をつないで乗りたいところだ。
同じ段の左右に乗るのが自然であり、一番安全だと言える。

健康な人にとっても迷惑は大きい。ふつう、エスカレータの一段は
狭すぎて、詰めて乗るのは無理がある。そのため、ほとんどの人は、
一段空けて乗っている。
そのため、エスカレータの乗り口に行列ができていることがよくある。
もし、右・左・右・左・・・と順番に乗れば、詰めて乗っても無理がない。

そもそも、右側を急いで歩いても、節約できる時間はせいぜい1分だろう。
それだけの元気な人なら、エスカレータを降りてから急げばよいだろう。
強者のた めに弱者が遠慮するという「マナー」は、間違っていると
言わざるを得ない。 エスカレータの隣に階段があることもよくある。
急ぐなら、階段を使えばよいのだ。少なくとも私はそうしている。

それどころか、みんなが左側に寄ってすし詰めで乗っているとき、右側には誰も歩いていないこともよくある。これでは、幽霊のために我慢し遠慮しているよう なものだ。幽霊が急ぐのに遠慮して、みんな黙ってエスカレータの乗り口で行列を作って待っている・・・これではマンガだ。

もっとも、ほかの人がみんな左側に寄っているとき、自分だけ右側に立つというのはしにくいものだ。こういう「マナー」を強制的にやめるために、管理者はエスカレータの乗り口に「片側を空けないように」「歩かないように」と表示すべきだと思う。

とにかく、こういうアホな習慣は、早くやめたいものだ。

院長のつぶやき混合診療解禁反対の署名運動

医師会が、「国民皆保険制度を守る署名運動」というのをやっていて、私のところにも協力しろと言う。

皆保険制度を守ることに異議はない。現在保険で認められている医療行為を自費診療に変えることにも反対だ。だから、「国民皆保険を守る」こと自体は大いに賛成である。

問題は、この署名運動が「混合診療反対」のために行われていることだ。

私は、混合診療を禁止しているのはおかしな制度であって、実際に相当ひずみ をうんでいると考えている。健康保険の枠内でしか診療ができず、医師それぞれ の創意工夫の芽を摘んでしまっているのも問題だ。混合診療が可能なら、もっと いろいろなことができるのに・・と思ったことは数知れない。

だから、混合診療を解禁する動きは、医療費削減という意図が多少あることに 問題はあるものの、ある意味で当然だと思っている。

混合診療とは、保険診療と自費診療を混ぜて行うことだ。

今のルールだと、混合診療は認められない。自費診療の分が1つでもあると、 健康保険を使うことは認められない。全部を自費にしなければならない。

例えば、保険で認められない抗ガン剤を使うとする。抗ガン剤の分だけ自費で いいのかというと、それだけではすまず、それ以外のすべての診療費を自費で払わなければならないという仕組みだ。

これでは、あまりにも高額になり、よほどの金持ちでない限り、この抗ガン剤を使うことはできない。

医師会は、混合診療を解禁すると、自費診療がどんどん増え、保険診療の分が減り、皆保険制度が崩壊するという。

その主張が全面的に正しいかどうか疑問ではあるが、確かにそういう問題はおこりうるし、一理あると言えよう。

しかし、署名運動するなら、「混合診療解禁反対」ということを前面に出すべきであろう。

「国民皆保険を守る」署名運動では、「皆保険は守るべきだが、混合診療解禁には賛成する」人も含まれてしまう。やり方がフェアでない。

このままの形でいくら数を集めても「混合診療に反対する国民の声」とは言えない。そういう主張は詭弁だと思う。

院長のつぶやき“様” と “さん”

最近、医療機関では”様”づけが大はやりである。
「田中さん」「鈴木さん」ではなく「田中様」「鈴木様」、
「患者さん」ではなく「患者様」とお呼びするわけだ。

どうやら製薬会社が病医院向けのサービスとして開催する「接遇講座」で
“様”づけを推奨しているせいらしい。
接遇コンサルタントと言われている人が仕掛け人のようである。

確かに、”様”は敬意の表れである。
ホテルや銀行なら当たり前の呼び方でもある。
医療もサービス業である以上、当然だという見方もあるだろう。

しかし、”様”づけはいかにもよそよそしい感じがするのも否めない。
あなたと私は他人ですよ、と言っているような気がするのは
私だけだろうか。
家族や友人どうしでは”様”とは呼ばない。
“様”は相手との距離を感じさせるのである。

他の医療機関がどんどん”様”づけに変更する中、いろいろ悩んだ末、
川本眼科では”さん”づけで通すことにした。
このほうが患者さんと親しい感じがすると考えたのだ。
そのかわり、患者さんに対する敬語の使用を徹底することにした。
「ご覧になる」 「いらっしゃる」「お待ち下さい」など、
正しい敬語を使うことをスタッフに繰り返し教育した。

このやり方は成功していると私は思っているのだが、
患者さんの評価としてはどうだろうか。気になるところだ。

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