院長のつぶやき 許してはいけない発言 2016年11月12日
私は、基本的にノンポリである。
政治の世界に首を突っ込もうとは思わない。
でも、今回はさすがにちょっと世の中がおかしくなっていると感じた。
こういうときは、やっぱり声を上げて正論を言っておくべきだ。
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「しかし」という接続詞がある。
2つの事柄を「しかし」で結んでみる。
A:T氏は性格が悪い。しかし金持ちだ。
B:T氏は金持ちだ。しかし性格が悪い。
Aは肯定的な評価、Bは否定的な評価になる。
同じ事実を並べただけなのに結論は正反対だ。
似たようなことが現実の人の評価にもしばしば起こる。
さんざん嫌がらせを受けてきたのに、最後に親切にされると
「あ、この人って意外にいい人なんだ」と感じる。
期待値が低い分、最後の親切には意外性があり、高評価へと逆転する。
(余談だが『自己啓発セミナー』での洗脳によくこの手法が使われる)
逆に、親友として付き合ってきたのに、最後に何かで喧嘩すると
「あんなにひどい人間だとは思わなかった。今までだまされていた」
期待値が高い分、喧嘩は裏切りと感じられ、低評価へと逆転する。
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トランプ氏についても、今同じメカニズムが働いている。
大統領に当選後、まともな言動を始めたので評価が上がっている。
かつて彼を批判していた人も「勝てば官軍」で勝ち馬に乗ろうとする。
たちまちトランプ詣でが始まっている。
世界中の首脳が彼と仲良くしようとする。
しかし、・・・
それで、トランプ氏の過去の言動を水に流してしまって良いのだろうか?
彼は選挙運動の間にたくさんの嘘をついた。
明らかに、嘘と知りながら、確信犯的に嘘をついた。
オバマ大統領は米国生まれでないとか、失業率が45%だとか・・
嘘はあまりにも多すぎて、列挙するのも大変だ。
女性蔑視発言もあった。言い逃れできなくなっても、自分を正当化した。
イスラム教への差別発言もあった。
発言は辻褄が合わず、実現不可能な政策を並べ立てた。
1つ1つはどこまで本気で言っているのかわからない。
少なくとも、自分の言動に責任を持つ気がないことは明かだ。
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選挙期間中の発言をあまり気にする必要がない、という人もいる。
「大統領になったら結構まともな政策を実行するよ、きっと」と。
そうだろうか?
選挙期間中の発言は公人としての発言だ。
発言には責任を取ってもらわなくてはならない。
実現できなければ公約違反だろう。
選挙運動中の発言には、普段以上に責任を伴うはずだ。
大統領選勝利は免罪符にはならない。責任を追及されるべきだ。
努力して実現できない公約が少しあっても仕方ないだろうが、
目玉にしてきた公約がいくつも実現できないなら、
大統領になるために嘘をついたわけで、辞任や弾劾に値する。
もし、選挙で嘘をついたことを許せば、今後はこれが前例になる。
候補者が全員嘘を並べ立てて争う選挙戦など、想像したくもない。
選挙で勝ちさえすればよいという考えは間違っていると思う。
今の選挙は、非民主的団体の勢力拡張にも利用されやすい制度だ。
「嘘を信じ込ませて投票させる」ということが可能だから。
民主主義のために、嘘を許してはいけない。
嘘つきは、指導者としてふさわしくない。
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言いたいことは言った。おまけ。
民進党が「TPP反対はトランプ氏に失礼」と主張したらしい。
さすがにあきれた。
山本農水相の失言とトランプ氏の放言のどちらが問題か。
前者は不用意なだけでどうでもよいことだと思う。
審議に抵抗する口実を探していた野党が騒いでいるだけと感じる。
一方、後者は民主主義の根幹に関わる。
トランプ氏の嘘や放言をそのまま認めてしまうなら、驚きだ。
党利党略でしか動けないのは情けない限りだと思う。
(2016. 11.12)